
武候祠は有名な三国時代の名勝旧跡をとして成都市の市内にあります。1961年、ここは中国国務院に全国重点文化財として指定されました。三国時代には魏と呉と蜀の三国が鼎立していてこの当たりは蜀と呼ばれていました。曹操と曹丕の親子は魏の国を作り、黄河流域の大部分の土地を支配して都を洛陽に置いていました。?権は呉の国を作り、長江の中流、下流地域を占め、南京に都を置きました。四川、云南、?州などを占?した劉備は蜀の国を建て成都が当時の都でした。日本版の[三国志演義]は皆様に人気があるそうで、諸葛亮や劉備や関羽や趙雲や張飛などがその時の風雲じです。
今の武候祠が諸葛亮と劉備を祭ったところです。諸葛亮は生前武郷侯に任命され、死後は忠武侯という贈名が与えられました。昔の武候祠は諸葛亮の慰霊のところだけです。この祠は6世紀の始めに劉備を祭った[昭烈廟]と並んで建てられたのです。昭烈とは劉備の死後に与えられた贈名です。14世紀の末になって武候祠は昭烈廟に合併されました。ですから、武候祠の正式の名前は[漢昭烈廟]になりました。ところが,人々は主君の劉備を上回る諸葛亮かつの才能と人徳をしのんでこれに因んで武候祠と呼ばれるようになりました。武候祠は南向きで1本の中軸線上に並んだ正門、二の門、劉備殿、吹き抜け、諸葛亮殿などの主な建築物からなり、敷地の総面積37メートルあります。この旧跡は前の部分が祠と博物館で後がこぢまりとした庭園です。中には蜀国の歴史上の人物の塑像が47体、石碑53基、額61枚、鼎、香炉、鐘、太鼓が10点余り収蔵されています。ですから,武候祠は蜀の国の君臣記念館と言うべきところです。入ると,通路の両側には六つのおおきな石碑が立っていますが,その中の四つは清代のもので,一つは明代のもの、一つは唐代のものです。清代の石碑には武候祠の建て直しと修築の状況が刻まれ、明代の石碑は主にここの歴史的沿革を記録しています。その中で唐代のものは歴史上非常に有名なものです。文章、書法、石刻技術ともに極めて優れているので、[三絶碑]と褒めたえられています。この門をくぐって劉備殿です。大きな殿堂に金箔張りの塑像が劉備のあり,両側には関羽親子、張飛らの塑像もあります。まだ武官、文官それぞれ14人、全部で28人の塑像が並んでいます。壁には諸葛亮の名文[出師表]、有名な[隆中対]の物語りがかけてあります。吹き抜けを過ぎると諸葛亮殿になります。真ん中の金箔を張った塑像が諸葛亮で両側は息子の諸葛瞻と孫の諸葛尚です。両側の部屋は諸葛亮史跡陳列室で諸葛亮の生前の事業や功績を記録した資料をたくさん展示しています。ここは池、石橋、竹林があってとても素晴らしい庭園があります。赤い壁に挟まれた小道を伝って行けば突き当りに劉備の墓があります。この墓は高さが12メートルもある、周りは180メートルもある壁に囲まれています。史書の記録によればこの墓の中に劉備の二りの夫人も葬られたそうです。側には三国文化陳列室で豊富な資料や文物を展示して三国時代の軍事闘争、経済発展、社会生活、文学芸術及び三国文化が後世に与た強い影響を紹介しています。
武候祠は歴史上の名士がたくさん来られたことがあり、たいてい有名な詩文や対聯を残したのです。三国の旅はここは重要な旧跡です。
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